南方神社について

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御祭神

建御名方神(タカミナカタノカミ)と、
その妻 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)

歴史

由緒について

 正平十二年(一三五七)の頃、薩摩国阿多郡加世田郷宇敷山頂(蔵多山)に信濃国一之宮諏訪大社(長野県)から勧請。文安元年(一四四四)、島津熙久が宇敷山頂から現在の地へ移したものであるといわれる。爾来、産土神として上社奉祀健御名方神、下社奉祀事代主神を奉祀。氏子総代を代々勤めた山下門の者が神体を背負い、途中休憩したという木口屋の南には諏訪岡がある。鳥居・御扉(神殿扉)が並列の特徴がある。

明治五年(一八七二) 県から神官本田出羽が臨検し者名を南方神社と改名し、祭神の相殿を信州諏訪の上社下社に同じく為るべく事代主命から八坂刀売命にかえた。

明治以降の改築は、明治六年に本殿。昭和六年に拝殿。大正四年に参道石段。

御神徳について

建御名方神(タケミナカタノカミ)
武神、農業神、狩猟神、水神

八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)
建御名方神の妻、弥栄の女神、至誠の神

建御名方神(タカミナカタノカミ)と、その妻 八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)をお祀りする枕崎の総社 産土神と称えられ、「必勝・商売繁盛・子授けの神様」として、ご崇敬を集めています。

巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰(五穀豊穣)が著名です。また水の信仰が海の守り神となり水産業に携わる方々や、豊かな恵みを分け与えてくださることから商売に携わる方まで幅広く参拝いただいています。

タケミナカタは、ヤサカトメとの間に、二十二柱もの御子神を授かっています。その内とくに十三柱の御子神と共に信濃開拓に発展したとされる経緯から、子授かりや子孫繁栄の信仰されることがある。また、この組み合わせにより、恋愛成就や縁結び的な意味合で信仰されることがある。